雑事と目標とイチローと

米大統領に再びトランプ氏が就任し、たびたび報じられるその言動に注目しているうちに今年も1ヵ月が過ぎてしまいました。
それにしても、政権が変わるたびに右から左へとガラリと方針が変わってしまう政治というものを、アメリカ国民はどう受け止めているのでしょうか。
スタートから1週間で30を超える大統領令に署名し、選挙戦で訴えた政策を次々と実行にうつしているトランプ政権。
その内容は多岐に渡り、前政権からの大幅な政策転換、特にアメリカ第一主義の方針を大きく掲げています。
彼はもちろん成功したビジネスマンなのですが、異業種に手を広げ負債を抱えては倒産させ、また新たな挑戦をするという復活劇を繰り返しての今日の成功です。
日本流に考えると、それでは信用というものがついてこないのではないかと思えますが、これを政治の世界でそのまま実行しているようで、うすら寒い気持ちでニュースを眺めています。
時の流れに霞む決意
そんななかで我が身に立ち戻ってみると、新しい年が始まって1ヵ月しか経っていないのに、年初の志が早くも立ち崩れてしまっていることに気がつきます。
具体的に言うと、2025年のスタートに当たって一年で成し遂げたい目標を20項目掲げていたのですが、12分の1の時間が過ぎたのに、たった1項目しかクリアできていないのです。
もちろん、20項目のなかにはすぐに実現できそうなものもあり、実行に困難を伴うものもあるのですが、それにしても達成率が5パーセントしかないというのは、我ながら情けないものがあります。
仕事の理想と現実の間で
なぜこんなことになるのだろうと心を引き締めてオフィスに入ると、待っているのはちょっとしたトラブル案件です。
細事ながら無視できない問題に、どうしようこうしようとスタッフが集まって話し合うことになり、どんどん時間が過ぎ去っていきます。
一応の方針が決まってやれやれと思っていると、今度は別の問題が発生し、またまた当事者から話を聞いて…という顛末になってきます。
もちろん、仕事の世界はいつもこんな様相を見せるものなのですが、年初の目標が遠く霞んでいくのを感じてしまいます。
目標に向かうことの大切さ
ここでこれらの雑事をものともせず目標に立ち向かって行けたら、アメリカ野球の殿堂入りを果たしたイチローになれるところです。
そうなれないのが凡人の悲しさで、今日も雑事に追われながらなんとかそれらを乗り越えられたという安堵のため息とともに会社を後にします。
「自分の能力を活かすも殺すも自分次第です」という、イチロー氏の殿堂入り会見での言葉が思い出されてきます。
偉大な彼の言葉を胸に、いま一度気持ちを引き締めて自分の目標に向かって歩いて行きたいと思う立春の頃です。