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「気配りズム」の効用

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「気配りズム」の効用

鯉のぼりが空に泳いで、青葉若葉の五月がやってきました。ビジネスの世界では、ゴールデンウィークのひと息を過ぎると、いよいよすべてが本格的に動き出す時期となります。

 そんななか私は先日、久し振りに眼鏡店へと足を向けました。パソコンや細かな文字を見るときに愛用している眼鏡の調子が悪くなってきたからです。普段はいろんなことを周囲にお任せしている私ですが、体のこととなると自らが動かざるを得ません。休日に時間を作って、自宅近くの店舗に出向いてみました。

 お店に着くと、若い男性スタッフに促されてカウンターに座らされました。こういうときは若い方ではなく、年齢を重ねた方に相談したいものなのですが、まあ、仕方がありません。眼鏡を胸ポケットから取り出して不都合を訴えると、このスタッフの方は「こちらですね」と言いながら、私の眼鏡を取り上げました。すると、これを持ったまま立ち上がって奥へと行きました。カウンターに残された私は、なんとなく不安な思いが胸をよぎります。奥をのぞくと、スタッフの方が何かをしている様子が見えます。私はカウンターに座りながら考えました。「なぜ、私に対して何かしらの言葉がないのだろう」と。そして、ハッと思い当たったものです。

 

 仕事をしていて近年気にかかるのは、若い人たちの気配りのなさです。相手の身になって、細やかに心を配る気遣いの少なさです。本人は大いに気を遣っているつもりです。でも、肝心なところでその気配りが、相手にちゃんと伝わらないのです。この眼鏡店での出来事もしかりです。私の眼鏡を取り上げて奥に行く前に、「ちょっとお借りします」とか「奥でレンズを磨いてきます」とか、ひとこと告げてくれれば、私は安心して待っていられたのに、そこまで気が回らないらしいのです。

 眼鏡店の若いスタッフの方は戻ってくると微笑みながら、「かなりレンズが汚れてました」と告げてきたので、彼は彼なりに一生懸命に作業をしたことはうかがえました。だが、もう少し言葉を伝えてくれれば、その苦労がお客様からの感謝という形で戻ってきただろうに…と思わざるを得ませんでした。

 

 この言葉が足りない、細やかな気遣いがない、というのは、近年の若者の特性のようです。幼い頃から、テレビやゲームの世界で育ち、人と触れ合う経験が少なかった彼らのことです。無理もありません。

 ですが、実はその特性が大きくビジネスのチャンスを損ねていることは、紛れもない事実です。何かをお願いしたが、その返事がない。何かを頼んだにもかかわらず、何もレスポンスがない。…そんな状態では、仕事の女神の前髪はどこかへ飛び去ってしまいます。たまりかねた相手が問い合わせると、「今やっています」というそば屋の出前のような言葉を思わず発してしまう…若者のこの状況は、仕事の面から見るとまさに「危機」です。

 どの世界でも成功した人物というのは、細やかな気配りをし、相手のことを思いやりながら努力をした人です。気配りというのは、ビジネスのまさに基本なのです。

 この気配りや心遣いという目に見えないマナーを若い人に教え込んでいくのは、至難の技です。かつては自然に学んでいたはずのこれらの気遣いを、わざわざ指導しなければならない時代が来たのかと、思わずため息をつきたくなります。

 

 そんなことを考えていたら、財務省官僚によるセクハラ発言の問題が浮上し、この社会、ちゃんとした大人でさえもちゃんとしていないことが判明してしまいました。国の中枢を担う官僚がこんな調子なのですから、国民としては情けないやら恥ずかしいやら。若い人に対しての示しがつかないとは、こういうことを言うのでしょう。

 

 ともあれ、五月です。

 ゴールデンウィーク明けには、当社でも新入社員に対して辞令が出ます。

 気配りという基本中の基本を、スタッフ全員がしっかりと業務の面で遵守していかなければならないと、兜の緒を締めに締める今日です。

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