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株式会社西田コーポレーションNISHIDA BLOG街の灯りとコミュ少(しょう)

街の灯りとコミュ少(しょう)

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街の灯りとコミュ少(しょう)

 コロナとオリンピックの2021年も、残すところあと2ヶ月となりました。
 相変わらず暑いくらいの陽気だったり、身も凍える日があったりと気候は不安定ですが、色づく木々の様子に秋を感じるこの頃です。
 それにしても緊急事態宣言解除から1ヶ月が経ち、日々の感染者の数もぐんと減って、お酒を提供するお店がやっと通常営業に戻り、夜の厚木の街がついに普段の顔を取り戻しました。
 日の暮れた街を歩きながら、看板に灯りが赤々と灯っているのを眺め、提灯がズラリと下がっているのも懐かしく、お客を呼び込む声も聞こえてきて、そう、街はこうでなくてはいけないと独りごちてしまいました。
 街を活気づけるのは、やはりこんなお酒や食事を提供するお店の賑わいで、振り返ればこれらの店舗がシャッターを閉めて閑散としていた時期は、コロナに負けるなと我が身を鼓舞するのもどこか白々しく、うすら寒い心地がしていたものです。
 そうして、やっとの思いで宣言解除を受けてのお店の再開。やはり、堂々と店を開けてお酒を出せるというのは素晴らしいことに違いなく、お店の方々の喜びが店内の熱気から伝わってくるようでした。
 とはいえ、晴れて一気に通常に戻るというわけにはいかず、我々としては少人数でこっそりと暖簾をくぐるという状況がしばらくは続きそうです。
 年末に向けて第6波が来ないことを祈るばかりですが、こう何度も次から次に波がやってくると、来ても仕方がないだろうという諦めの境地となってきています。



社内のコロナ2次被害

 社内での会話がめっきり減り、ミーティングなどが少なくなりました。
 朝礼に至っては、この一年半一度も行っていません。お昼を食べながら情報交換または愚痴の言い合いなどという習慣もなくなって、黙食孤食一辺倒になりました。
 そして、会社帰りに一杯というのがなくなって、ノミニュケーションという言葉が化石のようになってしまいました。飲みながら、悩みを相談する、困ったことをやんわり解決してもらい、さらには連帯感と一体感が育つという必要不可欠な技ができなくなってしまいました。

 大きな禍害は子どもや若者がもっとも影響を受けやすいとよく言われますが、このコロナ禍で社会人として一歩を踏み出した世代には、本当に同情してしまいます。後にきっと、バブル世代、ゆとり世代と同じように、悩めるコロナ世代として認識されるのではないだろうかと考えたりします。



コミュ少(しょう)を乗り越える工夫

 仕事の基本はコミュニケーションと位置づけ、「ほうれんそう(報告連絡相談)」と意思疎通の大切さを口酸っぱく説いてきた我々が、それを放棄しつつあります。それが軋(きし)みとなって、異音を発するようになってきています。
 いま一度、人と人が関わって仕事をすること、人と人が共に力を合わせる基本のところをしっかりと固めなければと思う今日この頃です。
 最近はコミュ障という言葉がよく聞かれますが、私は「少」の字を当てて否応なくコミュニケーションが少ない状況下で滲み出てくる危機感をここで言葉に残しておきたいと思います。

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