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地震のこと、責任のこと

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地震のこと、責任のこと

 長かった冬が少しずつ後ずさりを始めて、弥生三月、春の兆しがそこかしこに感じられる嬉しい時期となりました。

 三月といえば以前までは卒業に伴う別れのことや、四月からの新しい生活などに思いを巡らせて、寂しいけれどどことなく心弾むような少しくすぐったいような感情を抱いていたものですが、その気分も2011年以来すっかり変わってしまいました。そう、三月は東日本大震災の命月、あの悲惨だった地震と津波のことを思い起こす月です。

 

 早いものであれからもう丸四年。テレビに映し出された静かな町を津波が一気に飲み込むショッキングな映像は、四年が経った今でも昨日のことのようにはっきりと思い出します。

 東北地方や福島の被害は悲惨このうえないものでしたが、私の地元神奈川県厚木エリアでも地震の揺れは相当なものでした。当時自社ビルの五階にいた私は、隣接するビルが倒れてくるのではないかと青くなったものです。すぐさま社員の誰かれが駆けつけてくれたものの、それからは通常の業務はできない状態となり、社員それぞれが予約キャンセルの電話を入れたり、管理物件の状況確認などに飛び出していったりと息の詰まるような時間を過ごしました。

 その二日後に、厚木で初めてとなる木造免震アパートの完成見学会を計画していた私たちは、開催を中止することも考えたのですが、いや、大地震の二日後だからこそ「免震」をコンセプトとした建物を見ていただきたいと思い、見学会を行うことにしました。会場では、地震のお見舞いを言い合う光景があちこちで見られ、数多くの方に地震に対する対策の大切さを肌で感じていただけたと思います。

 

 さてそれから四年の月日が流れ、われわれの状況はどうなっただろうかと改めて周りを見回してみると、やはり残念ながらあの頃の緊張感は消えてしまったと言わざるを得ません。

 あの頃、いざという時に備えて市民はせっせと備蓄に励んだものですが、現在きちんと備蓄を続けている家庭はどれくらい残っているでしょうか。また建物の耐震対策はどうでしょうか。着実に進んでいるでしょうか。

 そのような視点で厚木の街を歩いてみると、残念ながらビルの地震対策はまったくと言っていいほど着手されていないことがわかります。ビルの耐震補強工事には多額の費用がかかるので、手をつけたいのだが「いや待てよ。」と考える方が多いのではと推察されます。

 ところが、いったん直下型の大地震が発生しビルが倒壊する事態となった場合には、耐震対策が十分でない建物では入居者の命を脅かす事態となってしまいます。テナントの方々がうまく逃げてくれたところで、今度は瓦礫が道路をふさぐ、隣接するビルに襲いかかるなどの事態も発生します。つまり、大地震発生の際には自分が被害を受けるだけでなく、自分の所有物が周囲に迷惑をかけることになるかもしれないということをよく考えるべきではないかと思うのです。

 厚木の街は開発が早かったために、多くの古いビルが存在しています。大地震発生時に倒壊の危険が指摘されている1981年以前のいわゆる「旧耐震基準」で建てられた築三十四年以上のビルも数多く見受けられます。これらのビルの耐震補強は待ったなしだと思われます。

 テナント誘致の観点から見ても、大地震時のリスクを考える大企業は、耐震対策のなされていないビルには決して入居してくれません。「免震」「制振」の構造を持つビルへ、そうして都市機能のマヒしにくい新しく開発された地域へと流れていきます。厚木から大企業が撤退している事実の裏には、そんな背景もあることを理解する必要があると思います。

 

 建物の所有者には、民法717条のいわゆる「土地工作物責任」があります。

 通常備えるべき安全性を欠いたまま建物を所有している場合は、いざという際には賠償訴訟を起こされても文句が言えません。建物の所有者には重い責任があるのです。さらに、「街の発展」という観点からも同様の大きな責任を有しています。

 311日が、このことを考え行動に移すはじめの日となってほしいと希望するばかりです。

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