齢(よわい)と意欲の間で

私と同世代の友人が思わぬアクシデントで入院しました。
かつてはああそうかで終わっていたのですが、今は自分のことのようにショックです。
そこに追い打ちをかけるように、これまた同世代の著名人の訃報のニュースが耳に入ってきます。
少しずつ順番が回ってきているなと思ってしまうのは、こんなときです。
次は自分が怪我で入院する、または病気の宣告を受けて愕然とする。…そんな好ましくない未来を想像してしまいます。
いずれにしても、誰がどう考えても人生のレースが終盤に差しかかっているのは明らかで、友人の入院を機に来し方行く末を考えてしまいました。
掌からこぼれていく自由
まずは、来し方です。
もちろん、ここまで一生懸命に走り抜けてきたのですが、これまでの日々を努力しながらも後悔のないように楽しんで生きてきただろうかと考えてみます。
あの頃はまだまだ先があると考えて、充分に日々をエンジョイしなかったのではないかという思いがよぎります。
たとえば体力です。少し前までは結構なスピードで歩いていたのですが、少しずつその速度が落ちてきました。ゴルフでもかつては意気揚々と臨んでいたのですが、今はともすれば翌日に疲れが残っているなと感じるようになってきました。
こうなるのだったら、あの頃もっと楽しんでいれば…。そう思います。
食に関してもそうです。かつてのように沢山食べられなくなり、お酒もそうは飲めなくなってしまいました。
もっと食べられるうちに食べ、飲めるうちに飲んでおけばよかったと思ってしまいます。
歳をとるということは、少しずつできることが減っていくことです。
かつてはあれもできたしこれもできた。それが、もうあれもできなくなったしこれもできなくなったという不自由さが増えていくことです。
終盤で湧き出す意欲
仕事についても、おのが過去を振り返ると懸命に努力してきたつもりですが、いやもっとできたのではないかという後悔の念がよぎります。
そしてそれが、まだまだリタイアできないし、もっとやろうという欲へと繋がっていきます。
人生の残り時間が少なくなってきた。だからこそ、あれもしたいこれもしたいという欲望が湧き上がってきます。
これを傍から見ると、いい歳をして諦めが悪い、極端な表現をすると老害ということになるのでしょうか。
私自身も若い頃は、なかなか引退しない経営者のことを、われわれに伸び伸びとやらせてもらいたいから早く世代交代してほしいと思ったものでした。
それがいざ自分の番になると、いやまだやり残したことがある、これもあれもしてみたいという欲に取りつかれているのを発見します。もっとベターな経営法がある、こんなアイデアもひらめいた…と、意欲が後から後から湧き出てきます。
人間は生きている限り、欲から逃れられないのかもしれません。だからこそ、今年82歳になるバイデン大統領や77歳になるトランプ氏が再びアメリカ大統領を目指しているのでしょう。
後悔のない人生のために
日本社会は30年以上に及んだ低迷期から今年こそ浮上するはずだと確信しています。この時期に、経営者として飛躍の一翼を担いたいと夢を描いています。
とはいえ、体と頭が健康であってこその夢です。
万が一のときに、周囲に迷惑をかけないでいられるようにいろいろな準備と覚悟と心構えを持ちながら、周囲のアドバイスに耳を傾けつつ意欲と現状のバランスを取りながら今後を歩んでいきたいと思っています。
これまで歩んできた人生を、自らも経営者としてもできるだけ理想の形でフィナーレへと繋いでいきたい。
…これもひとつの欲でしょうか。