憧れの先輩とその生き方と

なにしろ自粛は緩和されても、新しい生活様式は守らなければならず、やっと開幕したプロ野球もサッカーJリーグも観戦スタンドに人影はなし。今月からは少しずつ観客を入れていくらしいのですが、声を出しての応援もできなければ歓声も上げられないという、おかしな事態となっています。
外出するときは相変わらずマスクで、猛暑日にはあまりの暑さに途方に暮れてしまいます。
さらに、6月の下旬には久しぶりに大きな地震が関東地方を襲い、これが明け方の揺れだったために、相当な不安に陥りました。コロナで大変なさなかに猛暑、そこに地震まで加わったのでは、果たして日本は持ちこたえられるのだろうかと、白んでいく窓の外を眺めながら考えたものです。
そうして出社すると、いつものように数々のコロナの影響が壁となって、思うように業務ができないという現実に突き当たります。これがすでに数ヵ月続いており、さらにこれからもしばらく続くというのですから、目の前が暗くなってしまいます。このままでは企業の倒産はさらに増え、失業者が増加して、困難な時代が到来するであろうことは想像するに難くありません。この不安と絶望感。日本中の人が、いや、世界中の人が同じ思いであると思われます。
白球の記憶を胸にお会いできた大先輩のライフワークとは
そんななか私は高校時代の野球部の先輩のところへ出かけて行きました。このコロナ禍のなかで、当社のお客様となってくださったことのお礼を兼ねての訪問でした。思い返せば、高校時代からこの方は人間的に優れた人で、部活の先輩たちのなかでも目立つ存在でした。大学卒業後は外資系企業の日本支社に入社し、支社長にまで昇り詰め、さらに別の外資系企業の社長となり、忙しい毎日を過ごされたとのこと。
ところが、50歳のときに企業を退いて、経営コンサルタントとして新しいスタートを切ります。と同時に仕事場を兼ねたサロンを作り、ここに美術品や骨董品を並べて素晴らしい空間を作り出します。その美術品というのも、3、40年かけて国内外から買い求めたもので、自分が気に入ったものだけをコツコツと集めていったといいます。
そのサロンに足を踏み入れたとき、まるで美術館に迷い込んだような感じで、あまりの素晴らしさに息をのんでしまいました。
「ここにいて自分の好きな絵や物に囲まれていると、至福の時を過ごすことができるんだ。そこでいろいろと考えを巡らせるのも楽しいし」 先輩は涼しい顔でそう語ってくださり、私は感心してしまいました。
このご時勢にあって、新型コロナの騒ぎなど無縁のような表情に、思わず水を向けてみると、
「僕はこの仕事を始めた20年前からテレワークでやってるから、コロナなんて関係ないね」とのこと。テレワークとは、電話を使ったコンサルティング業務ということだけど、と笑ってくれました。
だから、世の中がどう騒ごうが、どう変わろうが、自分の生活や人生には何の関係もない、との言葉でした。
時代を超越して自分を生きる
美術品を集めたサロンにはびっくりしましたが、別に自宅があるというのでそちらにも伺ってみると、今度は驚いたことに立派なオーディオリスニングルームがありました。防音設計された部屋に巨大なスピーカーを配置し、ありとあらゆるジャンルのCDや音源を集めて、これが迫力の音を再現し、初めて味わう臨場感。すぐ目の前で演奏しているかのような圧倒的な迫力で、ライブで聴くよりライブっぽいというすごさ。「だから、こんな事態になってもどこかに行こうかなんてことは、まったく思わない。自分の今いる場所がいちばん。今の生活がいちばん充実している。」
そうおっしゃりながら、音楽に耳を傾ける姿を見て、こんな生き方もあるのだなと、すっかり感銘を受けてしまいました。
生き方は自分で選べる
こんな生き方というのは、つまり、趣味と仕事を融合させた生き方ということで、まあ、なんと豊かな暮らし方でしょう。芸術に囲まれ、毎日を楽しみながら暮らし、どんな時勢になっても変わらず自分のスタイルを続けられるという豊かさ。
それに引き換え我が身は、微細なウイルスが引き起こす事態に振り回され、不満と不安をかき抱きながら、悶々とするばかり。時代の流れを読みながらフレキシブルに企業の舵取りをするというのが仕事ながら、その方向を見定めきれず嘆くばかりになっています。募っていくのは、ストレスばかり。これでは、いい仕事ができるわけがありません。
ここは考えを切り替えて、ゆったり泰然として事態を俯瞰(ふかん)し、広く長い目で物事を考えていかなければならないのではないかと、改めてそう思いました。
そのためには、自分の心を解き放つ時間。好きなものに囲まれて、ゆったりと心を遊ばせる時間が必要だと再確認したことでした。
仕事一筋で歩んできた自らからの新しい脱却というものを、この年齢になって少しずつ模索し始めている私です。