社長卒業の春

例年より3日ほど早く咲いた桜が、はかなくも散り始めています。
厚木の街も、相模川沿いやぼうさいの丘公園などで一面ピンク色に染まる風景が見られましたが、無情にも花散らしの雨が降って終わりつつあります。
そんななか世の中では新年度がスタートし、私は49年間にわたって務めさせていただいた代表取締役社長の肩書きを下ろし、会長へと退くこととなりました。
複雑な胸のうちの春
なにしろ約半世紀にわたって企業の代表として日々を暮らしてきた私です。やはり感慨ひとしおの春になってしまいました。
ここまでよくやってきたなあという思いと、とうとうこの日がやってきたのかという寂しさとが、連日胸に押し寄せてきました。その一方で、まだまだやれるのではないかという欲も頭をもたげてきて、やはり、みずからの引き際というのは、難しいものです。
しかしながら、1ヵ月ほど前にスキーに出かけて膝を痛めてしまったことと、全国組織の協会の会長に就任せざるを得ないような流れになってきたことで、ついに今しかないと決意しました。
30年ぶりの魔のゲレンデ
ことの顛末について、今しばらく書かせてください。
スキーというのは、およそ30年前に滑って以来のことで、こう書くと若い頃に随分慣らしたように聞こえますが、その30年前が実は初めてのゲレンデだったという具合いなのです。
それでも今よりはかなり若かったわけで、その時は初の斜面でなんとか滑り下りるまではいきました。
今回も、通常はゴルフで鍛えていることだし、あの時と同様に滑れるものと安易な考えでリフトに乗りました。
すると、山頂から見下ろす斜面は身震いするほどの急勾配で、それでも30年前のイメージを思い出して斜め方向にそろそろと滑り始めました。ところが、イメージは残っているものの雪面は思いのほかツルツルで、四苦八苦しているうちにコントロールを失い、見事に転倒の連続です。
それでもなんとか2日間滑りきり、最後には膝が痛かったので後日病院に行くと、じん帯が伸びてしまったということで全治2〜3週間と言われてしまいました。
幸いテーピングとサポーターを使っての対処となり、松葉杖をつく生活はまぬがれましたが、次期体制に早く移行しなければという気持ちになってきました。
セカンドスタートの4月
さらに、業界団体の会長就任の流れです。
これを引き受けるとそれこそ全国を飛び歩くことが増えて、これまで以上に会社のデスクに座っていることが叶わなくなってきます。
しかしながら、これまでお世話になってきた業界の発展のためになんとか尽力したいという気持ちもあり、引き受けざるをえないと思え、一方で社長不在が続く企業では社内の業務にも支障が出てしまうのではないかと考えて、はやり世代交代の時期だと判断するに至りました。
もちろんそれが現実のものになる日を見据えて、十分に時間をかけて後継者の育成に取り組んできたつもりです。
長い間片腕として活躍してきてくれた人物を後任の社長とし、さらに若いスタッフを取締役や執行役員に迎えて、これまでの基盤をもとに新しい風を吹き込み、会社全体が大きく飛躍するであろうことを期待しています。
そして未来へと続く歩み
とはいえ、私も代表取締役会長として目を光らせていくつもりです。
まだまだ完全引退ということにはならず、このブログもまだまだ続きます。
米国がしかけたイランへの攻撃で、世界的なエネルギー不足が懸念される大変な時期での引き継ぎとなりました。
それでもこの状況を乗り切って、お客さまのため、オーナーさまのため、地域社会のため、皆で力を合わせてがんばっていきたいと思っています。
新しい西田コーポレーションを、どうぞよろしくお願いいたします。

